平野通信機材は創立70周年を迎えました

誠実な商人 でありたい

「誠実な商人」とは、弊社のすべての事業所の壁に掲げている言葉であります。
商行為の様々な場面において、商人として何が正しい判断であり、何が正しい振る舞いであるのかを迷う時、必ず立ち戻るところの言葉となります。

弊社一同は、一人一人が「良識ある私人」であることは基より、一人の商人であることを強く自覚し、「誠実な商人」として、お客様に、仕入先様に、利益に、そして納税に、常に誠実でありたいと願っております。

Message

宇敷敏夫氏

創立70周年のご挨拶

平野通信機材は、2020年12月をもちまして創立70周年を迎えることとなりました。
この間、幾多の試練を乗り越えて今日まで事業を継続出来ましたことは、ひとえにお取引先様の温かいご支援、ご愛顧の賜物であり、ここに厚く御礼申し上げます。

弊社は、幸運にも先達が定めました事業分野である情報通信の発展に後押しされ、また諸先輩方のご尽力により今日を迎えております。しかしながら、これに甘んじることなく、情報通信の無限の可能性と未来を信じ、業界の発展と、より良い通信環境の構築のお手伝いをさせて頂くことで社会に貢献して参りたいと存じております。

これからもすべてのステークホルダーの皆様方に必要とされ、愛される企業となれますよう精進して参ります。どうか引き続きご愛顧賜りますようお願い申し上げます。

平野通信機材株式会社
代表取締役 宇敷敏男

History“平野通信機材の歴史”

011920年代~1970年代- 平野通信機材 誕生

1928~1970

平野通信機材 誕生

1928年に創立者の平野義平が通信機及び部品の卸販売業をスタート。
戦争のため一時閉鎖を余儀なくされるが、1950年に「平野通信機材株式会社」を創立し事業再開。時を同じく発売された国産黒電話の爆発的な普及とともに売上を伸ばす。

リヤカーとオートバイ

創立時は木造社屋に創立家家族と住み込みの従業員が同居していた。
配達は主に自転車とリヤカー。後に自動二輪、オート三輪、トラックへと変遷していった。

1920年代~1970年代 年表

平野通信機材の出来事
  • 1928年 現住所に於いて創立者 平野義平個人にて通信機及び部品の卸販売を始める
  • 1937年 出資金10万円にて合資会社「平野電気電話商店」創設
  • 1943年 戦争の為、一時閉鎖
  • 1950年 資本金20万円にて「平野通信機材株式会社」を創立し事業を再開。代表取締役に平野義平(初代)が就任
  • 1952年 宇敷武志(義平の娘婿)が代表取締役(2代目)就任
  • 1952年 神田営業所を開設(後に閉鎖)。三田営業所を開設(後に閉鎖)
  • 1961年 中央区明石町に用地を購入し倉庫を新築(後に閉鎖)
  • 1967年 資本金1,000万円に増資
  • 1970年 旧本社ビル新築
この時期の情報通信
  • 1949年 逓信省が廃止、郵政省と電気通信省が発足
  • 1952年 日本電信電話公社が発足
  • 1950年 4号自動式卓上電話機
  • 1963年 600形自動式卓上電話機

021980年代~1990年代中期- 全国展開の加速と江東物流センター開業

1980~1990

NTT民営化や技術革新で
業界が活気づく

NTT民営化に伴い多くの通信機ディーラーが新規開業し、平野通信機材も順調に顧客数を増やしていった。
プッシュホン電話やFAX、ポケベル、自動車電話など情報通信技術の普及での新規メーカーも増え、取扱製品やサービスも増えていった。

全国展開の加速と
江東物流センター開業

この時期は平野の新支店や新倉庫が続々と誕生。北関東営業所(現北関東支店)や仙台営業所(現東北支店)が開設された。
佐賀町倉庫開設を建て替え、現在までのメイン倉庫となる江東物流センターが竣工した。

社員数は100名超え
好景気で香港旅行記

1980年の売上28億から1989年には売上81億までに到達。社員数もついに大台の100名を超えた。
創立40周年事業の一貫で社員全員で3泊4日の香港旅行を敢行する。

IT革命と商材の転換期

100BASE-T規格発足やWindows95発売で一気にインターネットが身近になった。平野通信機材でも新たにLAN事業部開設が発足した。一方で堅調なビジネスホンの売上に陰りが見えだし、それに代って現在までの主力商材となるLAN系の機材・部材が次々と現れてきた。

1980年代~1990年代中期 年表

平野通信機材の出来事
  • 1980年 佐賀町倉庫開設(現江東物流センター)
  • 1984年北関東営業所(現北関東支店)開設
  • 1986年 代表取締役に輿水弘美(3代目)が就任
  • 1987年 携帯電話ショップ「IDOプラザ八丁堀」と「IDOプラザ日本橋」を開設(後に閉鎖)
  • 1990年 江東物流センター開業
  • 1990年 創立40周年を記念した香港旅行記
  • 1991年 小出洋が代表取締役(4代目)となる
  • 1993年 仙台営業所(現東北支店)開設
この時期の情報通信
  • 1982年 カード型公衆電話登場
  • 1983年 IEEE802.3 イーサーネット規格化
  • 1985年 NTT民営化
  • 1985年 ショルダーホンサービス開始
  • 1987年 携帯電話サービス開始
  • 1988年 INS64サービス開始
  • 1990年 10BASE-T規格登場
  • 1995年 PHSサービス開始
  • 1995年 Windows95発売

031990年代後期~2000年代後期- ITバブルと創立50周年

1990~2000

ITバブルと創立50周年

ADSLの普及に伴いインターネットは従量制から定額制へ以降、それに伴い日本全国でITが普及した。平野通信機材の取扱製品でもLAN関係の部材が中心となる。
2000年代初頭にはITバブルが起き、売上も過去最高の100億円を達成する。同時期に創立50周年を迎え、周年事業としてWebでJ-Spider(全国情報通信事業者検索サイト)をオープンさせる。

混迷の時代

ITバブル終了後は売上が徐々に下降、追い打ちをかけるように2008年秋にリーマンショックが発生。安定成長の時代から、先が見えない混迷の時代へ突入していく。

1990年代後期~2000年代後期 
年表

平野通信機材の出来事
  • 1997年 国際フォーラムにて光フォーラム開催
  • 2000年 宇敷 敏男が代表取締役となる
  • 2000年 ITバブルや2000年問題を受け売上100億円突破
  • 2000年 創立50周年
この時期の情報通信
  • 1997年 1000BASE-T規格、無線LAN IEEE 802.11規格(2Mbps)
  • 1999年 iモードサービス開始
  • 1999年 2000年問題
  • 2003年 PoE規格IEEE802.3af標準化
  • 2003年 ひかり電話オフィスタイプ提供開始
  • 2008年 iPhone登場
  • 2009年 無線LAN IEEE 802.11n規格(100Mbps)

042010年代~2020年- 新本社ビル竣工。新時代へ

2010~2020

新本社ビル竣工。新時代へ

西日本営業の軸となる関西支店が開設された。2012年には新本社ビルが竣工。新本社の広大なイベントスペースを使用した展示会「平野BCCセッション」開始。基幹システムの入れ替えや支店の統廃合を断行するなど、新時代を見据えた働き方改革を推進する。
また環境に配慮し、現在も続くエコアクション21認証の取得がスタートする。

2010年代~2020年 年表

平野通信機材の出来事
  • 2010年 エコアクション21認証取得
  • 2010年 関西支店開設
  • 2012年 新本社ビル竣工。平野BCCセッション開始
  • 2019年 東北支店移転
  • 2020年 創立70周年
この時期の情報通信
  • 2011年 IPV4アドレス枯渇問題
  • 2015年 ISDN提供を2024年1月をもって終了とIP網への移行を発表
  • 2017年 フレッツISDN 新規申込受付終了

Once upon a time“あの頃は... 社員の思い出20選”

Album“あの日、あの頃...”

HIRANO 70TH ANNIVERSARY HIRANO 70TH ANNIVERSARY

Next Era“次の時代へ”

創立70年といった区切りの良い時期に社名ロゴをリニューアルいたしました。
社名ロゴを変更後も引き続き、お客様・仕入れ先様には常に誠実に、そして必要とされる会社になるために精進して参ります。

New logo“新社名ロゴについて”

HIRANOロゴ

新ロゴマークに込めた想い

当社頭文字の「H」と無限「∞」を組み合わせたデザインで、お客様とメーカー様との「無限の繋がり、永遠」をイメージしたものです。
コーポレートロゴの表記も和字の「平野通信機材株式会社」から、より覚えていただける英字の「HIRANO」へ変更しました。(※社名は従来通りです)

これからも創立100年へ向け「誠実な商人」として
「お客様をよりよく知ること」を一義とし、
これからも行動して参ります。

写真提供:NTT技術史料館、平野通信機材株式会社